パソコン教室で「天然」と笑われた私が、デジタルで自己肯定感を見つけた話
導入:定年後の小さな不安と新たな挑戦
定年退職をして数年が経ち、ようやく時間にゆとりができました。趣味の時間が増え、地域の活動にも顔を出すようになり、穏やかな日々を過ごしていました。しかし、心のどこかでは「このままでいいのだろうか」「何か新しいことに挑戦したい」という漠然とした不安も抱えていたのです。
そんな時、友人から「最近、オンラインで孫と話すのが楽しくてね。パソコン教室に通い始めたのよ」という話を聞きました。私は昔からデジタル機器が苦手で、スマートフォンも最低限の機能しか使っていません。正直なところ、パソコンなど自分には縁のないものだと思っていました。しかし、友人が「あなたも一緒にどう?きっと新しい世界が広がるわよ」と笑顔で誘ってくれたのです。
不安と期待が入り混じった気持ちで、私は思い切ってパソコン教室の門を叩きました。そこでの日々が、私の人生にどれほどの笑いと自己肯定感をもたらしてくれるとは、その時の私は知る由もありませんでした。
本論:不器用さとユーモアがくれた温かい光
パソコン教室に通い始めて、すぐに自分の「デジタル音痴」ぶりを痛感しました。キーボードを前にフリーズしたり、クリックすべき場所が分からなかったり。そんな私の奮闘ぶりは、時に周りの笑いを誘い、それが私自身の心も温めてくれました。
指一本で挑んだタイピング「まさかの天才?」
最初の授業はタイピング練習でした。先生は「指をそれぞれ配置して…」と丁寧に説明してくれましたが、私の指は思うように動きません。まるでピアノを弾けない人のように、キーボードの上で指が迷子になるのです。結局、私は人差し指一本でキーボードをツンツンと叩き続ける、という独自のスタイルで授業を進めていました。
先生が私の手元を覗き込み、「あら、〇〇さん。指一本で打つのは、ある意味、器用ですよ。普通はもっと疲れてしまいますからね」と笑いながらおっしゃいました。周りの生徒さんたちも、くすくすと笑っています。私は恥ずかしさもありましたが、思わず「もしかして私、タイピングの常識を覆す天才かもしれませんね!」と自虐的に返してしまいました。
その瞬間、教室に大きな笑いが起こりました。私の不器用さが、笑い話になったのです。この一件で、私は完璧でなくても良いのだと肩の力を抜くことができました。むしろ、私の「おっちょこちょい」が、場の雰囲気を和ませることに役立っているのだと気づけたのです。
ファイルが消えた?「私のデータ、どこへ行った!」騒動
ある日、作成した文書を保存する練習をしていました。私は指示通りに「保存」をクリックし、「よし、これで大丈夫!」と自信満々でした。しかし、次の日に開いてみようとすると、どこにもファイルが見当たらないのです。先生に「保存したはずなのに、どこにもありません!」と半ばパニックになりながら訴えました。
先生はにこやかに「大丈夫ですよ。〇〇さんの大切なデータは、きっとどこかでひっそりと隠れているだけですから」と、私のパソコンを操作し始めました。しばらくして、先生は「あらあら、随分と遠い場所にお引っ越ししていましたね!」と、とんでもないフォルダの中に私のファイルを見つけてくれました。
私は呆れて「ええっ、こんなところに?!」と叫んでしまいましたが、すぐに「これはきっと、私のファイルが冒険に出たかったのでしょうね。全く、困った子です!」と、まるでペットに話しかけるように笑い飛ばしました。その場にいた生徒さんたちも、私の話に共感して笑ってくれました。「私のデータ、どこへ行った!」騒動は、教室の定番の笑い話になったほどです。
この経験を通じて、失敗は恐れるものではなく、むしろ笑いに変えられる「ネタ」になるのだと学びました。そして、自分のドジな一面をオープンにすることで、周りの人たちとの距離がぐっと縮まるのを感じたのです。
オンライン交流会での「マイクオフ忘れ」と笑い
パソコン操作に少し慣れてきた頃、教室で開かれるオンライン交流会に参加することにしました。初めてのオンライン会議にドキドキしながら参加ボタンを押したのですが、開始早々、私の部屋から家族のテレビの音が丸聞こえになっていることに気づきました。慌ててマイクを切ろうとしましたが、操作が分からず、さらに焦ってしまいます。
すると、画面の向こうの先生が笑顔で「〇〇さんのところ、賑やかでいいですね!まるでコンサートホールのようです」と優しく声をかけてくださいました。他の参加者の方々も、温かい目で私を見守ってくださっています。結局、誰かがチャットで「マイクがオンになっていますよ!」と教えてくださり、ようやくマイクを切ることができました。
その後の自己紹介で、私はこの一件を「ご迷惑をおかけしました。今日は家族が私のデビューを祝って、音楽を流してくれているようです!」と笑いながら話しました。すると、皆さんから温かい笑いと拍手が送られました。完璧ではない私を、そのまま受け入れてくれる温かい空間に、私は大きな安心感を覚えました。自分の不器用さや失敗を隠す必要はない。むしろ、それをオープンにすることで、人々との間に心地よい繋がりが生まれることを実感したのです。
結論:ユーモアがくれた「ありのままの私」という宝物
パソコン教室での日々は、単にデジタルスキルを学ぶ場ではありませんでした。それは、私自身の「完璧でなければならない」という思い込みを手放し、不器用な自分を愛せるようになるための、大切な時間だったのです。
私は、自分の失敗を笑い飛ばすことで、心の緊張がほぐれ、新しいことへの挑戦が怖くなくなりました。むしろ、「次はどんな面白い失敗が待っているだろう?」と、少しばかり期待する自分に気づいたほどです。ユーモアは、私の心を軽くし、自己肯定感を高めてくれました。ありのままの私を受け入れてくれる温かい人々と出会い、デジタルという新しい世界で、私は自分の居場所を見つけることができました。
人生の後半期に差し掛かり、新しい挑戦に躊躇したり、孤独を感じたりすることもあるかもしれません。しかし、どうか完璧を目指さないでください。失敗を恐れず、むしろそれを笑いに変えてみませんか。あなたの不器用さや失敗こそが、人々との間に温かい繋がりを生み、あなた自身の魅力を引き出す「宝物」になるはずです。
私もまだまだ新しい発見の毎日です。もしあなたが今、何か新しいことに一歩踏み出すことをためらっているのなら、どうか思い出してください。笑いは、どんな困難も乗り越える魔法の力を持っているということを。そして、ありのままのあなた自身が、誰かの心に温かい光を灯すことができるのだということを。