笑顔がくれた宝物

家庭菜園で「雑草のプロ」と自虐したら、新しい世界が拓けた話

Tags: 自己肯定感, ユーモア, 家庭菜園, 定年後, 人間関係

定年後の新しい挑戦と、忍び寄る孤独感

定年を迎え、ふと手持ち無沙汰になった私は、「何か新しいことを始めよう」と思い立ちました。長年の夢だった家庭菜園に挑戦することにしたのです。小さな庭の一部を耕し、トマトやキュウリ、ナスといった定番野菜の苗を植えました。春の穏やかな日差しの中、土に触れる作業は、確かに心穏やかな時間でした。

しかし、現実は甘くありませんでした。手間暇かけて育てたはずの苗は、なぜか思うように育たず、その代わりと言わんばかりに、名前も知らない雑草たちが我が物顔で生い茂るではありませんか。隣の家の立派な畑からは、次々と収穫された野菜たちが顔を出し、その光景を見るたびに、私の心には「どうして自分はこんなに不器用なのだろう」「何をやってもうまくいかない」というネガティブな感情が募っていきました。

せっかく始めた挑戦なのに、失敗続きで自信を失い、かえって孤独感を感じる日々が続いていたのです。

「雑草のプロ」誕生の瞬間

ある日のことでした。畑で途方に暮れていると、通りかかった近所のベテラン農家のおじいさんが、私の畑を見てニコニコしながらこうおっしゃいました。「おや、〇〇さん。これはまた、見事な雑草園じゃのう!新しい品種かの?」

最初は恥ずかしさで顔から火が出る思いでした。しかし、おじいさんの温かいまなざしと、悪意のないユーモアに、ふっと力が抜けたのです。「まったくです!私の畑は、もはや雑草育成専門でして。収穫はゼロ。まさに雑草のプロですよ」と、私は思わず自虐的に返しました。すると、おじいさんは「ハハハ!それは一本取られたわい!」と腹を抱えて笑い、私もつられて笑ってしまいました。

この瞬間、「雑草のプロ」という自虐ネタが誕生したのです。これまでの「失敗」という重苦しいレッテルが、「笑いのタネ」へと変わった感覚は、まさに目から鱗でした。

失敗談が繋ぐ、温かい縁

その日以来、私は自分の家庭菜園の失敗を、積極的に笑い話にするようになりました。友人や近所の方に「私の畑は、収穫ゼロを更新中です」「雑草の勢いだけは誰にも負けません!」などと話すと、皆さんが面白がってくれるのです。

スーパーで野菜を買っていると、近所の方に「あら、自分で作ってるのに買うの?」と聞かれました。以前なら隠したいような質問でしたが、私は胸を張って答えました。「ええ、私の畑は雑草専門ですから、野菜はプロに任せています。おかげで、どんな雑草がどんな風に育つか、詳しくなりましたよ!」と笑いながら話すと、相手の方も「私もね、昔は同じだったのよ!」「うちも今年はダメでね」と、ご自身の失敗談を話し始めてくださいました。

そうして、たくさんの人と笑い合う中で、私は気づいたのです。完璧であることよりも、不完全な自分を素直に認めること、そしてそれを笑い飛ばすことが、いかに人との距離を縮め、温かい繋がりを生み出すかということに。

不完全な自分を受け入れる喜び

家庭菜園は、相変わらず大豊作とはいきません。それでも、私は毎日畑に出て、雑草たちを眺め、時には彼らと対話するかのように語りかけます。完璧な野菜を育てることよりも、この不器用な自分を愛おしく感じ、失敗を笑い飛ばせるようになったこと自体が、私にとって何よりの収穫でした。

「どうせ自分には何もできない」と塞ぎ込んでいた日々は終わり、今では「失敗しても、また笑い話のネタが増える!」と、何事も前向きに捉えられるようになりました。ユーモアが、私の中にあった自己否定の壁を壊し、等身大の自分を受け入れる勇気をくれたのです。

人生の後半に差し掛かり、私たちは様々な変化や予期せぬ困難に直面することがあるでしょう。しかし、どんな状況であっても、少しだけ視点を変え、ユーモアを味方につけることで、きっと心は軽くなり、新しい世界が拓けていくはずです。完璧でなくても、うまくいかなくても大丈夫。その不完全さこそが、あなたの魅力となり、誰かとの温かい繋がりを生み出す宝物になるかもしれません。